大阪谷町6丁目のスポーツ鍼灸整骨院『久保鍼灸整骨院/KUBO LAB』

#1467-障害者-

POSTED:2018/11/12 CATEGORY:BLOG

いつになく真面目な内容ですが。

世の中には、たくさんの『障害』が溢れていて、そういう人たちは『障害者』というカテゴリーに分類されている。

『障害』は字が良くないから、『障がい』にしましょう、とか僕は無意味に思ってしまう。

そこちゃうやろ、と。

別に、僕は『障害』という漢字に特別何かを感じた事もないし、だからどう、もない。

世の中の、そこを気にする人達や、優しさがはた迷惑なほど有り余った人達が、議論して、可哀想だから、こうしよう、ってなったんかなぁ。

ま、そこが話のメインではなくて。

障害者を雇用しないと税金をたくさん払わないといけないとか、でも、そこを誤魔化してる会社や組織もあったりなんてニュースも聞く。

色んな法律で守る為に、障害者を区分したりカテゴライズする必要もあるんでしょう。

それは、わかる。

でも、その障害って誰が決めたん?いつからあんの?

弥生時代はなかったでしょ。笑

江戸時代はどうやったんやろ?

難しい事はわかれへんけど、『障害』は『障害者本人が作り出したモノではない』という事です。

社会があってその枠組みがあって、そこに上手くハマらない人たちをそういう括りにして、医師がそう診断するわけです。

社会が生み出したわけです。

野球で言えば、ストライクとボールみたいなもんですかね。

ま、だからね、振っちゃえばストライクなんですよ。

アホみたいな喩えしてますけど、僕はそう思います。

クボトレキッズや上町アスリートクラブでもそういう相談を受ける事があります。

「うちの子○○なんですが、大丈夫でしょうか?」という具合に。

障害があるんですが、受け容れてもらえますか、って事です。

僕は、オールオッケーです。

障害があろうとなかろうとダメなもんはダメって怒るだけやし、その子なりに頑張ってもらうのは、相手が誰やろうと変わらんからです。

障害があるからって特別扱いもしないし、かと言って、逆にその子にかかりっきりになる事もない。

それが僕のスタンス。

そら然るべき区別をせんとアカン時もあるんでしょう。

でも、そんなん関係ないですって。

『障害』あってもおもろい奴はおもろいし、『健常』と言われる人でもおもんない奴はおもんないしアカン奴もいっぱいおる。

これいっつも言うんですけど、ダウンタウンの松ちゃんが、『障害ある人』を『メガネかけてる奴』ぐらいに言える世の中にならんと差別はなくならんと。

すごく偏った見方かも知れませんが、僕もそう思います。

だから、僕はたくさんの子供達と関わりますが、障害があるから優しくする、とか言葉遣いが変わるとかは一切ないです。

雑な扱いに感じられるかも知れませんが、それがホンマの優しさちゃいますかね。

僕はそう思てます。

甘やかして、環境を作って扱いあげても、いつか新しい環境に飛び込んでいく時があるわけで、その時にしんどくなるのは本人です。

それじゃ意味がないんですよ。

どこ行ってもやっていける人間にならないと。

って、地元で育ち、地元で商売して、生活してるやつが言うても説得力ないけども。笑

長くなりましたが、障害を生み出すのは社会です。

障害や何や言う前に、全員人間。

向き合えば一対一の人間同士。

ただ、それだけでしょ。