#2677-不登校に対する評価-
POSTED:2023/01/25 CATEGORY:BLOG僕らの頃よりも不登校は増えてる印象です。
『学校なんて行かなくて良い』という価値観が生まれた事もあるでしょうし、我慢強さみたいなものもなくなっている部分もあるでしょうし、原因は多岐に渡るのかな。
ま、実際問題、絶対に行かなアカンもんでもないし、ちゃんと行けよとも思うので、ケースバイケースの極みぐらい、それぞれ全く理由が違うので、一概に論じる事はできひんねやろけど。
不登校って言葉でくくること自体がナンセンスなんかもなぁ。
ま、でも学校側や友達からしたら、『学校に来てない』ってのは共通してて、『不登校』ってくくりになるのは致し方ないのか。
そんな中で不登校に対する評価に関するこんな記事。
不登校で通知表「オール1」〝負け犬のレッテル〟に心かき乱される生徒
難しいとこよね~。
一定の評価はせざるを得ないのかな、とも思うし、斜線とかで対応するのもありかなと思うけど、入試の絡みとかもあるんかなぁ~。
40人40通りって学校もあったけど、教師への負担増で考えたら現実的なのか?!
そもそも、不登校の原因、対策を考えるべきなんかな。
僕が推察するし、昔のムチャクチャな時代の方が不登校が少なくて、今の落ち着いた学校の方が不登校が増えてる原因は、『多様性』というキーワードにあるのかな、と。
学校に限らず、『多様性』と言う割に、世の中はどんどん生き辛くなってます。
『多様性』というのは、スパイスカレーみたいなもんやと思うんです。
一つの更に複数の味のカレーが乗ってたり、たくさんの副菜が乗ってたり、トッピングしたい人はすれば良いし、それを混ぜて食べようぢゃないか、と。
混ぜ具合に寄って、味も不均一で、それが面白さで。
でも、今の時代は、一つの更にどんどん小鉢が並べられて、分ける必要があるのかないのかわからんぐらい別皿に盛られて、器同士がガチャガチャぶつかってる状態。
新しい病気の名前が増えたり、障害の分類が細分化されたり、一人一人に目を向けてる様で、果たして生き易くなってるんかな?!
分ける事で、自分達とは違うという差別意識に繋がったりしてないんかな?!
この器同士のガチャガチャに大人も子供も疲れてるんちゃうかな?!
学校はあまりに過ごしにくい場所になってます。
大人しく静かに過ごせる事を良しとして、むしろ、それが要求されて、そこからはみ出す人間は徹底的に排除されるような。
クラスの子がうるさいから学校に行けません、ってちょっと繊細過ぎひん?!
でも、今はそういう子が優先されて、うるさい奴は抑圧される。
それが当たり前なってるから、クラス中がそういう目線で見る。
どんどん仲間外れを探すような仕組み。
そら、真っ白な世界で、黒やグレーは目立つよな。
昔は、良い意味でもっと雑多やった気がします。
色んな奴いましたよ。
でも、それは障害とかではなく、それこそ『そういう奴』という個性やった。
そんな奴が大人になって羽ばたくケースもあるし、子供の時の評価なんて、その時を評価してるだけで、将来には何の意味もなくて。
当たり前なんやけど。
ま、だから不登校に対する評価をどうするかよりも、不登校の原因を考えて、それは個人の理由やなくて、社会としてどうなっていくべきかの話で。
悪い事したら、先生にどつかれるぐらいでええんすよ。
愛のゲンコツはあると思いますよ。
別になくてもいいけど、あるかもが大事。
喩えは悪いけど、原子力と一緒。
抑止力。
中高生なんて、ナメたら調子乗るだけですから。
今は、性質が悪いですよ。
先生より、ある意味では力ありますからね。
先生は教育委員会の処分もあるし、迂闊な事できないですけど、子供らはルール無用ですからね。
法律的にも守られてるし、バカ親が味方につく事もある。
やだなやだな~。
世の中何が良いのかわからんけど、俺は俺の周りだけでも、自分のやり方でやる。
大人に伝える。
子供たちに伝える。
ズレてるとかええねん。
その感覚が、今の世の中の大きなズレを生んでんねん。
小さなズレに違和感を感じる事なく、自分たちと違う人を排除してきた結果が、今の取り戻しがたい大きなズレに繋がってんのよ。
間違った多数決の積み重ねの結果ですよ。
酒も飲んでへんのに、今日は熱いですね。
今日は、子供たちのスポーツに関わる人と会う予定が有るので予行演習ですな。笑
今日も熱く生きましょうっ!!